東京都の副知事が花見の自粛を依頼しているようだ。私はナンセンスであると思う。私は日本中の国民が深い悲しみに接しているのは間違いないと思う。その全ての思いは復興に向けて立ち上がらないということで一致していると思う。
そして、その具体的な活動へのきっかけとして、花見は有力な手段になり得ると思う。
なぜならば、悲しみに接した賢明な国民は、一見脳天気な花見のなかでも、自分たちに何ができるかを話し合うことをすると思う。そして、自分たちの幸せを実感できる場であるほど、その話し合いは活発に行われると思う。そのよう前向きな期待を持たず、自粛ばかりを強要する官僚や政治家は、国民をばかにしているのではないかと思う。
今大切なことは、うちにこもって出てこない人達を外に出して、経済を活性化すること、そして、その人達に復興に対するヒントを与えることが、自粛を強要するよりも重要なことだと思う。
したがって、私は花見は絶対に自粛すべではないと思う。
ただし、被災地でのテレビ放送などは控えるのが良いのかについては、考えがまとまっていない。
節電が呼びかけられ多くの飲食店も看板の照明を消すなどの協力をしている。そのため、繁華街も以前に比べるとかなり暗い感じがする。
しかし、私が思うに、これは実に感じが良い。まず、通り全体の雰囲気がしっとりとりと感じられて、これ見よがしなネオンや派手な照明による集客よりも、むしろ抑えられた照明の街にひきよせられるような気がするのである。
通りは薄暗いが、お店から漏れる照明は実に暖かな通りは実に素晴らしいと思うこの頃です。言うならば、京都の先斗町のような感じに近づいたような感じです。
大手金融機関の義援金は横並びで1億円ということである。一方で、基幹工場が被災した製造業や、計画停電によって事業所の操業がままならない製造業が、それを越える義援金を出しているとのことに違和感を感じ得ない。
この災害によって、株の売買は増えているのではないか、また、なかにはシステムがダウンする銀行が出るほどの多くの件数の義援金の振込がなされているそうで、それによって多くの振込手数料を得ているのではないか・・・そのような状況をも考慮しても、いかがなものかと思ってしまう。
例えば、日系証券会社は、平時の平均的な売買高を超える取引額からコストを除いた額を義援金に回すなどの検討や、銀行であれば、少なくとも義援金の振込によって得られた手数料収入からコストを除いた額を義援金に回すなどの検討をして欲しいものである。(そもそも義援金の振り込みによって儲けるということ自体がいかがなものだと思います)
このような話をすると、金融機関の営業拠点は被災しているので義援金どころではないと反論もあるかもしれない。しかし、その反論はメーカーの営業拠点が被災していないのであれば大きな考慮に値するもののはずであるが、果たして、大手金融機関を越える義援金を拠出しているメーカーは、その営業拠点なども被災しているであろう。したがって、私の冒頭の違和感を払拭するのに十分な答えにならない。
要するに、私は見解は、報道から得られる情報の限りであれば、その義援金の額から見ても日本の大手金融機関は相対的に志が低いという結論に至ってしまう。
あの赤プリが閉館する。バブル世代の象徴的なホテルが閉館するのは非常に寂しい。私もちょっとだけだが思い出もある。
その赤プリが地震の被災者の避難所として使われることが決定されたようだ。バブルのころは一泊の予約をとることすら難しい所である。老朽化したとは言え、腐っても赤プリであることを願いたく、少しでも被災者の心の慰めにあることを願っている。
日本一高い賃貸マンションは月5310,000円という破格。「ラ・トゥール代官山」という物件らしい。クローゼットが20畳とのこと。どんな人がお住まいになるのやら・・・